米本城 (よなもとじょう)
最寄地 千葉県八千代市米本1733 2014.1.22 2018.10.4
米本城 (よなもとじょう)
最寄地 千葉県八千代市米本1733 2014.1.22 2018.10.4
新しい説明板
大手・土塁・説明板
4の曲輪・奥は3の曲輪土塁
3の曲輪
1の堀
咳の神様の祠
2の堀
米本城 大手口跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 国道16号線「米本神社前」交差点を南西方向に曲がり約190m行った交差点(そのまま行くと新川に架かる城橋に至る)を左折(防火水槽標識、カーブミラーがあり、曲がり方に注意)、住宅の横の狭い道を約100m行くと城跡看板のある大手口に着く[マップコード6 599 189*86]。
4年後訪れてみると、色あせた説明看板は新しいものに取替えられていた。
南西に3の曲輪があり土塁や空堀が良く見て取れる。「咳の神様」の祠がある。
その先の2の堀の土橋を渡ると2の曲輪、1の曲輪であるが、土砂採取で南西部分はコの字形に大きく削られ、東京電力の鉄塔や加茂牧場の敷地となっている。残った土塁部分も竹林が密生し歩くのも困難である。東に3の堀がある。
昭和四十二年(1967年)、土採り目的で一郭及び二郭が削られ消滅した。
【歴史】 文明十一年(1479年)太田道灌勢が米本の龍ヶ城を攻めたとの記録があり、これが米本城と比定する向きがある。
天文年間(1532~55年)、村上国綱・綱清父子により築城された。
永禄元年(1558年)米本城が攻められ落城、城主綱清が自決したと伝わるが、臼井城と連携していたと考えられることから、落城時期を永禄四年(1561年)とする向きもある。