師戸城 (もろとじょう)
所在地 千葉県印西市師戸 2015.4.6
師戸城 (もろとじょう)
所在地 千葉県印西市師戸 2015.4.6
四の丸
三の丸空堀
三の丸
中堀
二の丸虎口
二の丸本丸間の土塁・空堀
本丸・土塁
師戸城跡碑
師戸城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★☆】
【案内・感想】 臼井城の北約2㎞にあり、県道64号線の印旛沼を渡った北の信号交差点の次の交差点を右折、東に川を渡って約300m行くと「印旛沼公園」駐車場がある[マップコード 533 007 072*6 ](地図)。
駐車場の西は「道場台」と呼ばれる外郭(四の丸)があり、芝生広場になり遊具などが設置され、桜が多数植えられて花見客で賑わっている。
その南に空堀が良く残り、「師戸城跡模式図」の看板が建てられ、土橋を渡ると三の丸の広い曲輪があり土塁が巡らされている。
南に深い空堀「中堀」があり、土橋を渡ると、東に二の丸、西に本丸があり、その中央を空堀が残っており、本丸・二の丸周囲に土塁が巡らされている。
二の丸の南端に展望台があり、「師戸城跡碑」の石碑が設置され、印旛沼を望むことが出来る。公園として良く整備されている。
【歴史】 千葉氏の一族臼井氏の居城である臼井城の支城として、14世紀に築かれたと云われる。
その後何度か改築され、現存の形になったのは16世紀中ごろと推定される。城主については明らかではないが、江戸時代初期に書かれた『臼井家由来抜書』に名が出てくる臼井氏四天王の一人である師戸四郎が、この城に関係があったとも考えられる。
印旛沼の対岸にある臼井城とは「渡し」で連絡され、臼井城の防衛に大きな役割を果たしたと考えられる。
永禄九年(1566年)上杉謙信の臼井攻めもよく防いだが、天正十八年(1590年)豊富秀吉の下総攻略で落城し、臼井城と命運をともにした。『印西市教育委員会説明板』より。