小机城 (こづくえじょう) (飯田城・根古屋城)
最寄地 神奈川県横浜市港北区小机町818 2014.2.4
小机城 (こづくえじょう) (飯田城・根古屋城)
最寄地 神奈川県横浜市港北区小机町818 2014.2.4
登城ルート(緑線は車道)
本丸虎口・土橋
本丸空堀
本丸冠木門
本丸
本丸東の空堀
井楼跡
櫓台
二の丸
小机城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★☆】
【案内・感想】 鶴見川の南、第三京浜道路の東の独立丘陵にある。小机城址市民の森として、城の遺構が整備されている。
横浜線「小机駅」より西へ600m、横浜線の北側の道を西に行き、第三京浜道路を潜る手前に登り口がある(地図)。駐車スペースはほとんどなく、東側の広い道路に停めて歩く必要がある[参考 マップコード2 326 837*30]。
北に石段を上ると空堀や土橋のある本丸である。かなり広い本丸は土塁で囲われ虎口に門が復元されている。
本丸と空堀を隔てて土橋の東に井楼跡がありその北が二の丸である。土塁で囲われ櫓台が残る。
【歴史】 小机城は、永享の乱(1438~39年)の頃に関東管領上杉氏によって築城されたとされるが、正確な築城年代は分かっていない。
文明八年(1476年)山内上杉家の家宰であった長尾景春が、父の死後に家宰職を相続できなかったことに端を発し、上杉家に対する反乱を起こした。
このとき景春の味方をした豊嶋氏が小机城に立て籠り、敵方の太田道灌に攻められ、文明十年(1478年)四月に 落城した。
その後、廃城となったが、この地域が後北条氏の勢力下に入ると、北条氏綱の手により修復され、大永四年(1524年)家臣の笠原信為を城代として配置し、小机衆が組織された。
笠原氏は、小机城を中心に付近の村に僧侶を招き、寺を建立するなどの城下の整備に力を注いだと見られ、江戸時代になっても、その子孫は代々、この地の付近に住んでいた。
その後、城主は北条氏堯、北条氏政の弟三郎(後に上杉景虎)、北条氏光と替わっている。
天正十八年(1590年)の豊臣秀吉による小田原征伐の際には、無傷のまま落城した。
その後、徳川家康の関東入りの際、四代目城主弥次平衛重政のとき、徳川家の家臣とされ二百名の知行を与えられ台村に住むこととなり、小机城は廃城とされ、その歴史を閉じた。