駒城 (こまじょう) (駒館・駒楯城) (県の史跡)
最寄地 茨城県下妻市黒駒146-5 2015.2.21
駒城 (こまじょう) (駒館・駒楯城) (県の史跡)
最寄地 茨城県下妻市黒駒146-5 2015.2.21
説明板
土塁・城跡碑・説明板
土塁・城址碑
駒城 主郭跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 「駒城ハイツⅠ」(表記番地)の西、道路の北に面して東西約88mの土塁が残り、「駒城址」の石碑、木碑、説明板が建てられている[マップコード123 485 055*70](地図)。
土塁の北に堀の窪みがある。城址碑のある所が、東西120m、南北180mに亘る城跡の北西部に位置している。
昭和十年(1935年)11月26日、茨木県の史跡に指定された。
【歴史】 約670年前の南北朝時代、ここに中御門少将藤原実寛が城主として立て籠もった。
南朝の北畠親房らは勢力を伸ばそうと、延元三年・暦応元年(1338年)小田治久の小田城に拠った。関城の関宗祐、大宝城の下妻政泰らと共に、実寛は城を固めた。
そこで北朝の将高師冬(こうのもろふゆ)は山川城(結城市山川)に陣を置き、延元四年・暦応二年(1339年)十月鬼怒川を渡り大挙して攻めて来た。
これに対して駒城の守りが堅く、激しい戦いとなるも、興国元年・暦応三年(1340年)五月二十七日に師冬軍の猛攻によって落城し、実寛は捕えられた。『下妻市教育委員会説明板』より。