戸張城 (とばりじょう)
所在地 千葉県柏市戸張909 2015.4.7
戸張城 (とばりじょう)
所在地 千葉県柏市戸張909 2015.4.7
北側入口・切岸
北側土塁
二の丸虎口・空堀
空堀
戸張城二の丸虎口(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 文京区立柏学園(表記番地)敷地となっており北側に駐車スペースがある[マップコード18 074 108*07]。
周囲に柵が廻らされているが、正門から二の丸の土塁・空堀、虎口が確認できる。
主郭は北東の建物付近である(施錠され入れない)。外郭は正門の南西敷地外にあり雑木林となっている。
【歴史】 平安時代末期から鎌倉時代にかけて活躍した千葉氏一族の相馬師常の三男戸張八郎行常の居城であったという。
宝徳二年(1450年)には小見川城主の粟飯原(あいはら)氏が戸張で合戦をした。「東葛の中世城郭」(千野原靖方/2004/崙書房)では、この合戦で戸張城を攻撃した粟飯原大和守が戸張氏に討ち取られたのではないかと推察している。
戸張氏は天文七年(1538年)十月の国府台合戦における敗北により戸張城を去り、その後元亀・天正年間には古河公方の重臣梁田氏に属し、下河辺吉川郷(埼玉県吉川市)で活動した。
その後、戸張城主は明らかではないが、小金城の高城氏の支配となったと考えられる。