阿左美氏館 (あさみしやかた)
所在地 埼玉県秩父郡皆野町下日野沢1278 2018.1.19
阿左美氏館 (あさみしやかた)
所在地 埼玉県秩父郡皆野町下日野沢1278 2018.1.19
民家石垣
説明板
石垣
阿左美氏館跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高40m】
【感想】 江戸時代初期の郷士の居館跡で石垣や、食違い門の跡が残っている。背後は山と地続きであるが、前面の石垣は高く、東西2軒の民家敷地となっている。西側の敷地に池や庭園が残っている。
【案内】 県道44号線より県道284号線に入り、日帰り温泉「満願の湯」を過ぎ水潜寺に向かう。約1.7km行った右側に「阿左美氏館」の標識がある[150 578 517*42]。
入口より約300m登ってゆくと、石垣の前に説明板が建てられている。左右2軒の民家敷地となっている。
【歴史】 阿左美氏は、武蔵七党の一つ児玉党の流れを汲む。寄居鉢形城主北条氏邦に仕えていたが、永禄十二年(1569年)伊賀守玄光は武田信玄が秩父に派遣した甲州勢を追い返した功により、氏邦より感状を賜り、姓を「朝見」に改めた。
玄光の子・慶延は横瀬根古屋城の城主として上杉勢の抑えを務め、その子左馬助道光は幼少の為この館に暮らしていたが、天正十八年(1590年)鉢形城の落城と共に、慶延は道光を連れて帰農し郷士となった。
慶長元年(1593年)道光により、日野沢に館が築かれた。
子孫は十左衛門を世襲し、代々日野沢村の里正を務めた。
秩父札所34番水潜寺は、阿左美氏の開基になるもので同氏の庇護の下に栄えてきた。