猪倉城 (いのくらじょう)
最寄地 栃木県日光市猪倉2733 2021.7.25
猪倉城 (いのくらじょう)
最寄地 栃木県日光市猪倉2733 2021.7.25
登城ルート(緑線は車道)
遊歩道入口・案内図
城址碑
主郭
雷電神社
南の堀切
南の郭
北東の堀切・郭
北東2条目の堀切・北東先端 の郭
猪倉城跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高110m】
【感想】 日光市猪倉にある標高約396mの山頂に築かれている。山頂の主郭は低い土塁で囲まれた東西20m程の楕円形で、雷電神社が祀られている。
西に深い堀切、西の郭があり、南に堀切、平坦地が残り、東側の3つの郭と2条の堀切など見所は多く、草も刈られ良好に残っている。
【案内】 泉福寺(表記番地)の駐車場が利用できる[マップコード132 587 665*57]。
駐車場奥の登り口に案内図が建てられ、遊歩道が整備されフエンス扉を通って主郭東側の桝形に通じている。
桝形の西に段があり城址碑が建てられ、主郭には雷電神社が祀られ、低い土塁が残っている。
南側に堀切、平坦地があり、西側に深い堀切とその先に郭があり土塁が残り、先端に横堀が見られる。
一方、枡形の北東に2条の堀切が残り、その間と先端に曲輪が残っている。
【歴史】 正応年間(1288~93年)鹿沼権三郎入道教阿が築いたという説と、大永年間(1521~28年)鹿沼右衛門が築いたという2説がある。
天正四年(1576年)鹿沼城主・壬生綱雄は叔父・壬生周長(徳節斎)と壬生家臣で猪倉城主・鹿沼右衛門に暗殺された。
徳節斎らは一挙に壬生氏嫡流を滅ぼそうとしたが、逆に綱雄の嫡男・壬生義雄に攻められ敗北した。
この時、猪倉城は壬生義雄方の板橋城主・板橋将監親棟に攻撃され落城した。