馬坂城 (まざかじょう) (佐竹城・天神林城)
最寄地 茨城県常陸太田市天神林町2262 2016.3.5
馬坂城 (まざかじょう) (佐竹城・天神林城)
最寄地 茨城県常陸太田市天神林町2262 2016.3.5
登城ルート
入口案内板
城址碑・説明板・御城跡
説明板
御城北側
西側空堀
西城跡・櫓台
馬坂城 御城跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 県道61号線に面した佐竹寺山門北に道標があり、旧道を約700m南西に行った表記番地西に案内標識がある[マップコード47 675 372*30]。駐車スペースは少ないので、佐竹寺駐車場か、入口東の路肩に駐車する。
入口階段を登って西に行くとすぐ、間坂薬師堂があり、東西約120m南北約50mの「御城(真城)」があり、城址碑、説明板が建てられている。
御城東端の表記番地敷地との間に空堀が残り、10mほどの幅で深さ1.5mほどの畑となっている。
西に行くと空堀が残り、その先に「西城」があり、藪となっているが、櫓台と思われる高台がある。また空堀を南に50mほど下ると、縄文時代の頃とみられる間坂貝塚(貝殻の捨て場)がある。
約6032㎡の敷地に3つの空堀で東西に分断し、曲輪を設けた平山城で、北を鶴が池、西南を山田川に囲まれた自然の要塞であった。
【歴史】 平安時代の末期、新羅三郎義光(源義家の弟)の孫昌義は久慈郡佐竹郷に永住し、佐竹氏を名乗りの馬坂城を築いた。
佐竹氏3代隆義の時代に太田城(舞鶴城)に移った後は、 4代秀義の子・義清が稲木氏を名乗って居住したり、14代義俊の子義成が天神林氏を名乗り居住するなど、佐竹氏一族が居住していた。
慶長七年(1602年)、佐竹氏の秋田移封に伴い廃城となった。『常陸太田市説明板』より。