山田城 (やまだじょう) (古城) (町の史跡)
最寄地 群馬県吾妻郡中之条町山田692 2019.1.23
山田城 (やまだじょう) (古城) (町の史跡)
最寄地 群馬県吾妻郡中之条町山田692 2019.1.23
登城ルート(緑線は車道)
入口・説明板・城址標柱
帯郭・主郭切岸
主郭・標柱
東の郭・土塁
水の手曲輪
空堀
山田城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高10m】
【感想】 岩櫃城の鬼門に当たる四万川に向けて伸びた標高509mの丘陵に築かれている。最高所の主郭と帯郭があり、東側に浅い堀切土塁の郭がある。
東端に空堀があるが、切岸など防御施設は甘く、居館跡を思わせる。
【案内】 県道234号線に道標と説明板が建てられ、そこより吾嬬神社(中之条町山田572)横を入り、南に約750m行くと、入口に説明板・城址標柱が建てられている[マップコード295 621 262*64](地図)。
そこから東へ50mほど行くと、主郭があり、南に帯郭がある。主郭の北と東に細長い郭が夫々あり、主郭と東の郭間に土塁付の堀切がある。
東の郭より南東に下ると、水の手曲輪があり空堀が残っている。
岩櫃城の北北東約3.4kmに位置しており、平成六年(1994年)12月1日、中之条町の史跡に指定された。
【歴史】 岩櫃城の北を守る支城とされる。『加沢記』によると、永禄三年(1560年)上杉謙信が関東出陣の折の「関東幕注文」(上杉家文書)に、岩下衆の旗頭である斉藤越前守と同紋で、城主の一族として記された山田氏は、永禄六年(1563年)真田幸隆の攻撃によって越後に落ちてゆく越前守の供をして国境まで行き、嵩山城に拠る末子城虎丸のことなど託されている。
山田城の城主は山田源太左衛門と伝えられており、斉藤氏没落後の状況は明らかでない。