鵜ヶ崎城 (うがさきじょう) (岩沼城・岩沼要害)
所在地 宮城県岩沼市栄町1丁目3 2017.10.24
鵜ヶ崎城 (うがさきじょう) (岩沼城・岩沼要害)
所在地 宮城県岩沼市栄町1丁目3 2017.10.24
鵜ヶ崎公園
鵜ヶ崎公園
城跡標柱
主郭・土塁
西側空堀
岩沼駅ロータリー南側の城跡
鵜ヶ崎城跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 鵜ヶ崎公園は最高所の主郭を中心に東に一段低く平坦地があり、南側に帯郭が見られる。また主郭の南に土塁、西に空堀が残っている。
絵図にある南側の城跡は岩沼駅西口の市街地となり、東北本線横の台地が残るのみである。
【案内】 城跡は東北本線「岩沼駅」となり、岩沼駅西口ロータリー南の細長い台地が城跡の削り残しと思われる(地図)。
また北西に200mほど行った高台が城跡の北西部に位置し、現在「鵜ヶ崎公園」(表記番地)となっている[マップコード21 103 267*28]。
【歴史】 古くは「武隈館」と呼ばれ、平安時代中期の歌人・源重之が奥州に来た際に築城したのがはじまりと伝えられる。
戦国時代には伊達氏の家臣泉田安芸が城主であった。元和元年(1615年)の一国一城令で岩沼要害となった。
寛文元年(1661年)岩沼藩3万石として仙台藩の内分大名・田村宗良の居館となった。
天和二年(1682年)田村氏が一関へ転封となり、古内氏が代々居館とした。
明治維新後は廃館となり、明治二十年(1887年)東北鉄道(後の東北本線)が敷設された際、要害の一部が岩沼駅となった。