嵩山城 (たけやまじょう) (武山城・嶽山城) (町の史跡)
最寄地 群馬県吾妻郡中之条町五反田222-1 2015.9.21
嵩山城 (たけやまじょう) (武山城・嶽山城) (町の史跡)
最寄地 群馬県吾妻郡中之条町五反田222-1 2015.9.21
登城ルート
東登山道
鞍部平坦地
大天狗
平坦地・四阿
実城の平
西側堀切
嵩山城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高230m】
【案内・感想】 県道53号線沿いにある「道の駅霊山たけやま」(表記番地)[マップコード295 685 571*83]の北の嵩山にある 。
小天狗・中天狗を経由してゆく表登山道と直接城跡に出る東登山道がある(地図)。
東登山道をゆくと、「五合目」「七合目」の標識があり、途中に大天狗下方の岸壁に「弥勒穴」がある。比高180mの尾根平坦地に四阿が建てられ、西に一段高く71体の仏像が並んだ「実城の平(無常の平)」がある。
東に経塚を経て、チェーンのある岩肌を上り詰めると、大天狗と呼ばれる標高789.2m比高230mの嵩山頂上に出る。「女岩」の上に石宮が置かれている。中之条盆地の町並み や岩櫃山、遠く榛名山、十二ヶ岳などの絶景が望める。
昭和六十三年(1988年)3月26日、中之条町の史跡に指定された。
【歴史】 永禄六年(1563年)十月武田信玄の吾妻郡侵攻によって岩下衆の本拠岩下城が攻略されると、岩下衆は上杉謙信の支援を得て、斉藤越前守の子城(白)虎丸を擁して嵩山城に籠城し四万川を境に岩櫃城の武田方と対峙した。
嵩山方は四万川東岸の内山城(折田)、城峰城(西中之条)と、八幡(横尾)に砦を置いた。永禄八年(1580年)二月武田信玄は、上州出撃の際に箕輪城と共に嵩山城の攻略を目標に挙げている。
同年十一月真田幸隆は、城方の池田佐渡守父子を味方につけて、城を退出させた上で総攻撃を加えた。城主城虎丸(18才)は城の北方大天狗近くの断崖から飛び降りて自ら命を絶ち、後を追って女姓や子供も亡くなったという悲話が伝わっている。
嵩山城はこの後廃城となり、以後は信仰の山に戻って今日に至る。この戦いの犠牲者の供養と霊山嵩山の信仰の為、元禄十五年(1702年)から坂東・西国・秩父の嵩山百番観音が建立された。ここには西国・秩父観音71体が安置されている。『中之条町教育委員会説明板』。