堀越城 (ほりこしじょう) (国の史跡)
所在地 青森県弘前市堀越柏田243 2014.8.3
堀越城 (ほりこしじょう) (国の史跡)
所在地 青森県弘前市堀越柏田243 2014.8.3
登城ルート
熊野神社参道入口
外堀の土橋・虎口
外堀・二の丸土塁(北側)
二の丸・土塁
二の丸・建物跡
内堀・土塁
本丸土塁・建物跡
本丸・熊野宮
堀越城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★☆】
【案内・感想】 国道7号線「堀越」交差点より西に行った次の信号交差点に熊野神社鳥居がある[マップコード323 842 413*37]。駐車スペースは少ない。
東西に虎口を開いた土塁に囲まれた本丸があり、本丸御殿跡や本丸東門跡等の建物跡が平面復元され、熊野神社が祀られている 。
その西に二の丸があり土塁が残り、建物跡が平面復元され、堀は重機で掘削復元されている。東に三の丸があり国道7号線が三の丸を南北に通っている。
本丸南の壕は40mほどの巾がある。
津軽氏城跡(種里城跡・堀越城跡・弘前城跡)として昭和六十年(1985年) 国の史跡に堀越城跡が追加指定された。
【歴史】 建武四年(1337年)、北朝方の曾我太郎貞光により築城された。
元亀二年(1571年)、大浦為信(後の津軽為信)はこの城に兵を集め、石川城を急襲し、攻め落とした『津軽一統志』。
その後、為信は大光寺城や浅瀬石城を攻め落して津軽の支配を進め、文禄三年(1594年)、岩木地区にある大浦城より本拠を移した。
津軽騒動を経て為信の跡目を継いだ信枚(のぶひら)は慶長十六年(1611年)、高岡(弘前)城完成と共に本拠は弘前城に移ったのち、元和元年(1615年)の一国一城令により廃城となった。
弘前城へ移転の後、熊野宮が建てられ、一部は畑となっていた。