川俣砦 (かわまたとりで)
最寄地 埼玉県羽生市上川俣106 2022.9.3
川俣砦 (かわまたとりで)
最寄地 埼玉県羽生市上川俣106 2022.9.3
南西側土塁・掘
曲輪・南側土塁
曲輪・東側土塁
北側土塁
北西側土塁・堀
川俣砦跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 利根川の南側に位置する平地に築かれており、現在北側を埼玉用水路が流れている。
約30m四方の方形の曲輪があり周囲に土塁が巡り、北側と西側に空堀が見られる。
東側にも土塁が伸びているが、民家敷地となり曖昧になっている。
【案内】 表記番地北の埼玉用水路に架かる広い橋に「上川俣道畑」バス停があり、その南に行った路肩に駐車した[マップコード64 032 770*56]。
南側の道を70m程東に行くと、南西土塁が見えている。
【歴史】 古河公方足利氏の家臣・川俣氏の居城とされる。川俣氏は藤原秀郷の流れを汲む佐野氏の庶流といわれる。
天正十一年(1583年)川俣主膳正貞次は家臣の裏切りにより、利根川水系の支配を目論む北条氏政勢に城を落とされたと考えられる。
貞次は羽国に逃れ最上氏に仕えたという。その後、早川織部正が川俣砦に拠ったという。