下川田城 (しもかわだじょう) (川田城)
最寄地 群馬県沼田市下川田町乙798 2019.2.16
下川田城 (しもかわだじょう) (川田城)
最寄地 群馬県沼田市下川田町乙798 2019.2.16
主曲輪の段差(右奥に標柱)
主曲輪の段差
北西端の祠・城址標柱
北西の空堀(右が主郭)
加沢平次左衛門の墓
下川田城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆ 】
【感想】 沼田市下川田町の利根川右岸に突き出た河岸段丘に築かれた崖端城となっている。民家が建ち並び、その裏手に段差のある主曲輪が広がっている。
城址標柱は分かりにくいが、城跡の北西側の大木横に祠があり、その横に建てられている。その下段に空堀がある。
【案内】 県道253号線に面した「川田公民館」駐車場が利用できる[マップコード183 469 301*47]。
そこより東へ約130m行くと「加沢平次左衛門の墓」の説明板が建てられている。斜めに登ると、内宿公民館の左奥に「加沢平次左衛門の墓」がある。
城跡はその西の民家裏一帯にあり、断って入らせてもらった。
【歴史】 築城年代は定かでないが、沼田氏の一族川田氏によって築かれたと伝えられている。
川田氏は、荘田城主沼田景久の四男景信を祖とし、景信・信光・信清・信満・光清・光行と居城していたが、天文二年(1533年)の北条氏による沼田侵攻により滅亡したと云われる。
その後、天文年間(1532~55年)には山名義季が居城していた。天正十年(1582年)、中山古城が北条氏に落とされると川田衆が動揺し、北条方へ与する者が増え、山名氏は沼田へ移された。代わって禰津幸直が城主となった。
天正十二年(1584年)、幸直は僅か300の兵で中山城や白井城から進発した北条勢を撃退した。
加沢平次左衛門は利根、沼田、吾妻を中心とした歴史を記した「加沢記」の著者である。沼田城主5代真田伊賀守信利の家臣であったが、天和元年(1681年)真田氏改易後、川田城跡の一隅に隠棲し、元禄五年(1692年)65歳で没した。