秩父氏館 (ちちぶしやかた) (吉田城・鶴ヶ窪城)
所在地 埼玉県秩父市下吉田3833 2014.3.26 2024.6.9
秩父氏館 (ちちぶしやかた) (吉田城・鶴ヶ窪城)
所在地 埼玉県秩父市下吉田3833 2014.3.26 2024.6.9
説明板
吉田こども園
館跡説明板・万葉歌碑
吉田小学校
吉田小学校
吉田小学校東の崖
【遺構★☆☆☆☆】
【案内・感想】 秩父氏館跡は、神田堀(じんでんぼり)・やまめ沢・吉田川に仕切られた台地上に在った。秩父市立吉田小学校(表記番地)周辺と伝えられ、吉田こども園との間に館跡説明板と万葉歌碑が建てられている(地図)。
【歴史】 桓武天皇六代の孫・平将常が武蔵権守に任じられ、秩父郡中村郷に住して秩父氏を名乗った。
その子・武基は秩父牧別当を兼ねたので、下吉田牧林に館を築き、その子・十郎武綱が鶴窪台地を選び居館したと云われる。
武綱は後三年の役(1083~87年)で(三百余騎を率いて源義家に従い)戦功をたて、秩父牧の名馬の名と共に関東武士の名声を上げた。
武綱より重綱、重弘、畠山重能を経て畠山重忠に至っている。また武綱の子孫は分れて土肥、畠山、千葉、豊島、葛西、江戸、河越氏等有力な武蔵武士となっていった。