小栗山館 (こぐりやまやかた)
最寄地 青森県弘前市小栗山沢部220 2015.7.5
小栗山館 (こぐりやまやかた)
最寄地 青森県弘前市小栗山沢部220 2015.7.5
小栗山農村交流公園
小栗山館跡(地図)
【遺構★☆☆☆☆】
【案内・感想】 弘南鉄道大鰐線「小栗山駅」より南西約300mに厚「小栗山農村交流公園」(表記番地)の北付近とされている[マップコード627 838 225*05](地図)。訪ねてみたが整地され、林檎畑のみで遺構はなく、標識もない。
後で調べてみたら南西600mの丘陵にあるようだ 。城郭放浪記さんによると大和沢川の南の丘陵で、果樹園となっているとの事[マップコード627 807 745*77] 。遺構は見られないとあるので、再度行く必要もないようだ。
【発掘調査】 平成十年度と平成二十五年度に弘前市教育委員会による発掘調査が行われ、古代から中世にかけての遺構が出土したとあるので、保存のため埋め戻されたと思われる。
北東に千年山の尾根、西は大和沢川に臨んだ断崖、東に数段の帯郭、南は昔湿地帯だったという天険の要害である城は、南西から北東の狭長な地域で、150m×300mの範囲で比高は約80mといわれるが、そんな高い所は見当たらなかった。
【歴史】 小栗山館の築城年及び築城主は不明であるが、建武の中興の頃、南朝方の武将倉光孫三郎が拠っていたとされる。
建武三年・延元元年(1336年)五月二十七日、岩館(岩楯)の岩館曽我貞光は北朝方について、倉光孫三郎の籠もる小栗山楯を攻撃したが、撃退された。
曽我氏にとって、岩木川左岸地区進出のため、何度も攻め入ったが、撃退された。その後の小栗山館は、歴史の表舞台に現れなくなった。
元亀・天正年間(1570~92年)の館主に小栗山左京がいる。小栗山左京は、野武士の首領で、津軽為信に従い、石川城攻撃では折笠与七ら83名と共に城門を破壊して、突撃するなど活躍している。
その後、森岡信元の所領に小栗山が記載されているが、館自体については定かでない。