小野寺城 (おのでらじょう)
最寄地 栃木県栃木市岩舟町小野寺1302 2021.7.6 7.19
小野寺城 (おのでらじょう)
最寄地 栃木県栃木市岩舟町小野寺1302 2021.7.6 7.19
城跡碑・東北道
小野寺禅師太郎義寛の墓
小野寺禅師太郎義寛の墓
説明板
小野寺城跡(地図)
【遺構★☆☆☆☆】
【感想】 岩舟町小野寺にあった東西約324m南北約198mの回の字をした平城と云われ、明治の頃は土塁の一部が残っていたが、東北道自動車道建設により遺構は消滅している。
城跡碑や小野寺義寛の墓で小野寺城を偲ぶのみである。
【案内】 県道75号線より東に行った東北自動車道手前の表記番地南に「小野寺城跡」の石碑が建てられている[マップコード64 675 285*86]。
また東北自動車道を潜り東側の道路を南へ260m程行くと、小野寺禅師太郎義寛の墓がある(地図)。
【歴史】 藤原秀郷の11代目義寛は首藤氏を名乗っていたが、源為義に仕えて戦功を挙げ、保元元年(1156年)小野寺一帯に所領を与えられ小野寺氏を名乗り、小野寺城を築いた。
義寛の子通綱(道綱)は平氏追討で九州まで転戦し、文治五年(1189年)には源頼朝の奥州藤原氏攻めにも参陣したが、1221年承久の乱の宇治川の戦いにおいて討死した。
鎌倉幕府の御家人・小野寺氏の分流には、出羽国雄勝郡が与えられ、「仙北小野寺氏」の祖となり、その後横手城を本拠とすることになる。
小野寺氏は室町時代には佐野氏に従い、その後北条氏、天正十八年(1590年)北条氏滅亡後は佐竹氏を頼った。
慶長七年(1602年)佐竹義宣の秋田移封に伴い小野寺氏も秋田に移った。