館岸城 (たてぎしじょう) (館岸山城)
最寄地 茨城県笠間市上郷1544−4 2018.4.19
館岸城 (たてぎしじょう) (館岸山城)
最寄地 茨城県笠間市上郷1544−4 2018.4.19
登城ルート
説明板
ハイキングコース入口
切岸・土塁
主郭
上段の2郭
背後の障子堀
堀切
波石のある3郭
館岸山頂上
館岸城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高200m(山頂まで)】
【感想】 難台山城と谷を挟んだ北西にあり、標高256mの館岸山から南西に400mほど下がった標高約200m(比高140m)の山腹に主郭があり西側から南に土塁が残り、上段に2郭がある。その背後に高い土塁と障子堀がよく残っている。
主郭の南東方向に水場があり、館岸山との中間に波石のある3郭がある。
難台山城も頂上から少し低い尾根にあるが、館岸山城も同様の形態で、頂上は物見に使われたと思われる。
【案内】 国道355号線より県道280号線に入り、約2.5㎞西に行き右折し表記番地先に向かうと「館岸山」の案内標識がある[112 795 581*01](地図)。西側の市道横に駐車できる。
200mほど行き右に曲がり、次の別れを左、次を右に登る(「館岸山ハイキングコース」の案内標識がある)。最終分れから約500m登ると、主郭の切岸が現れる。右に300mほど行って左に登ると水場がある。
戻って左に行くと虎口があり、「希望の広場」と呼ばれる主郭の平坦部に出、少し行くと説明板が建てられている。その上段が2郭で、北側に高い土塁がある。
土塁の右へ回って下ると、障子堀、堀切がある。さらに登ると波石の置かれた3郭に出る。北に堀切があり、遊歩道を登り詰めると館岸山頂上である。
【歴史】 この地は「小鶴の荘」(宍戸荘とも)云われ、鎌倉時代初期八田知家の4男宍戸家政の所領となって以来宍戸氏一族の支配地であった。
元中四年(1387年)南朝方の小山義政の三男若犬丸が、小田孝朝の子・五郎藤綱と共に難台山に拠り兵を挙げた。真壁顕幹から兵糧等の支援を受けて戦った。
これに対し北朝方の上杉朝宗は常陸国太田の城主佐竹義宣、山尾(十王町友部)の城主小野崎通郷、江戸郷(那珂市)の城主江戸通高らの応援を受け、向城として難台山城北東の館岸城に拠った。