袖ヶ館城 (そでがたてじょう) (矢吹城・袖ヶ城) (町の史跡)
最寄地 福島県西白河郡矢吹町舘沢69−6 2020.5.25
袖ヶ館城 (そでがたてじょう) (矢吹城・袖ヶ城) (町の史跡)
最寄地 福島県西白河郡矢吹町舘沢69−6 2020.5.25
登城ルート
入口の城跡看板と説明板
主郭切岸
主郭
主郭西の横堀
詰郭手前の堀切
詰郭(古舘)
袖ヶ館城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高20m】
【感想】 矢吹町舘沢の比高20mほどの館山に築かれている。
主郭は傾斜し自然地形に近いが、南東側に2段の段郭が残り、西側に横堀がよく残っている。
詰郭との間の尾根は歩き易く遺構はないが、詰郭手前に堀切が残っている。
【案内】 国道4号線「柳堀込」交差点より町道を西へ約370m行った表記番地手前に「袖ヶ館城跡」の看板と説明板が建てられている[マップコード61 128 593*27]。手前の館池との間に駐車できる。
南東側に3段の郭があり、広い主郭がある。西側に横堀があり、北西尾根に歩くと堀切、古舘に詰郭がある(地図)。
矢吹町の史跡に指定されている。
【歴史】 前九年の役(1062年)の戦功により、河内の石川頼遠・有光父子が仙道(福島県中通り)の地の一部を拝領して、翌、康平六年(1063年)に石川庄に藤田城(石川町中野)を築き、その後、三芦城に移った。
石川有光の弟・基時が東山道の抑えとして袖ヶ館城を築き、矢吹下野守を名乗った。南北朝時代、室町・戦国時代にかけて主家石川氏に属しながら矢吹の地を支配した。
天正十七年(1589年)の須賀川城落城の際は、伊達政宗に属し、一時須賀川城代を与えられた。
天正十八年(1590年)豊臣秀吉の奥州仕置きによって伊達政宗が岩出山城に国替えとなり、石川氏、矢吹氏一族郎党はこれに従い、袖ヶ館城は廃城となった。