東金城 (とうがねじょう)
最寄地 千葉県東金市東金1410 2016.1.3
東金城 (とうがねじょう)
最寄地 千葉県東金市東金1410 2016.1.3
登城ルート
説明板・入口
東金城説明板
御殿山神社奥院跡
堀切
主郭虎口
主郭・トーチカ
東金城跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 県立東金高等学校(表記番地)の北、八鶴湖の西に入口があり、説明板が建てられている[マップコード27 208 845*67]。東金御殿跡は東金高等学校敷地となっている。
校舎北を通ってすぐ、本漸寺の「鳳山別院」横に「東金城阯碑」の石碑が建てられている。
御殿山遊歩道の横に歌碑、句碑等が並んでおり、登ってゆくと、「御殿山神社」があり、更にゆくと、「御殿山神社奥院」跡の石碑が建てられている。
その先に堀切・空堀があり、標高74mの最高所に主郭がある。主郭は草木に覆われている。北尾根に小郭が残るが、藪化で行けない。主郭の西に少し下ってゆくとトーチカが残っている。
平成七年(1995年)6月7日、東金市の史跡に指定された。
【歴史】 初見は『鎌倉大草紙』に、享徳の乱(1454~83年)の初期、美濃より下向した東常縁(とうのつねより)の家臣浜春利が拠ったとされる。
東金酒井氏の本城として、天正十八年(1590年)まで機能していた。
慶長十八年(1613年)から翌年にかけて、佐倉城主土井利勝が東金代官嶋田次兵右衛尉重次以栢(じひょうえのじょうしげつぐいはく)に命じ東金御殿を東麓に造営させた。将軍の鷹狩の際の宿泊所であった。
寛永七年(1630年)大御所秀忠の御成りを最後に鷹狩は行われなくなり、使用されなくなった。
寛文十一年(1671年)東金が幕府直轄地(天領)から福島の板倉藩領になり、御殿は取り壊された。