中野城 (なかのじょう) (城山)
所在地 東京都中野区中野1-31 2016.1.31
中野城 (なかのじょう) (城山)
所在地 東京都中野区中野1-31 2016.1.31
説明板
谷戸運動公園・説明板
【遺構★☆☆☆☆】
【案内・感想】 都道433号線(大久保通り) より北に入った「谷戸運動公園」南側入口横に「城山」の説明板が建てられている[マップコード696 791*44](地図)。住宅地となり遺構は消滅している。
【歴史】 延宝三年(1675年)の村の記録には「中野村のうちに九百坪ほど土手を築き空堀を掘ったところがあり、これを昔より城山と伝えている。そこは、元々名主堀江卯右衛門の先祖からの屋敷地で、いまは年貢地になり、代々卯右衛門が所持している」とみえている。
堀江氏は、天正四年(1576年)後北条氏領中野五郷を治める小代官をつとめ、次いで豊臣秀吉の指令を受けた中野の土豪であった為、戦国期の城山は、小城砦を兼ねた土豪屋敷であったことが考えられる。
城山は平忠常の城砦跡、或いは、豊島氏と戦った太田道灌の陣地[道灌とりで]跡などともいわれている。『中野区教育委員会説明板』より。