吉橋城 (よしはしじょう)
所在地 千葉県八千代市吉橋804 2016.11.26
吉橋城 (よしはしじょう)
所在地 千葉県八千代市吉橋804 2016.11.26
登城ルート(緑線は車道)
貞福寺
貞福寺土塁
空堀
主郭跡
城址碑
主郭東側土塁
吉橋城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 堀道から見上げると、主郭南東が張出し、櫓台と思われる。南西に切岸が見られる。また、主郭の土塁は北辺の崖部分を残して、他の三方によく残っている。
主郭の広さから見て、城主高木氏は近在に相当な勢力を持っていたと思われる。
【案内】 県道61号線より東の貞福寺(表記番地)に向かう。道路は狭く曲がりくねっており通行に注意する必要がある。
貞福寺に駐車させて貰った[マップコード6 565 894*01]。2郭跡とされる貞福寺北にも土塁が残っている。
貞福寺の北の堀跡は、道路となっている。主郭虎口を入ると、左手の土塁に「吉橋城址」の石碑が建てられている。
主郭はゲートボール場となり東から南にかけて土塁がよく残っている。北側は土塁がないが、崖となっている。
【歴史】 一帯はかつて、吉橋郷と呼ばれ臼井氏や千葉氏本宗家の支配下にあった。
戦国時代、高木(城)伊勢守胤貞の城であったという。高城氏は小金城主の高城氏と関連が指摘されるがはっきりしない。
天文五年(1536年)頃、北条氏に攻められ落城したともいわれる。