岩富城 (いわとみじょう)
最寄地 千葉県佐倉市岩富町323−1 2018.9.11
岩富城 (いわとみじょう)
最寄地 千葉県佐倉市岩富町323−1 2018.9.11
登城ルート
浅間神社鳥居・説明板
土橋・虎口
土橋右側の空堀
主郭
西側土塁・浅間神社
居館跡の民家
岩富城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 佐倉市岩富町の丘陵に築かれており空堀、土塁が残っている。主郭は草茫々で、参道周囲だけが刈られていた。西側の土塁を右に行くと浅間神社が祀られている。
居館跡は南側約150mの2軒の民家敷地となり、土塁の一部が残っている。
【案内】 県道22号線の立体交差より東に行ったセブンイレブン(表記番地)駐車場を利用させてもらった[マップコード27 553 442*18]。
東側の道路を南へ約200m行くと、右手に浅間神社の鳥居が見え、横に説明板が建てられている。
参道を西に行くと間もなく、左右に空堀のある土橋に着く。主郭周囲に土塁が残っている。
【歴史】 この地域は、古くは千葉氏一族の白井氏が支配していたが、享徳三年十二月(1455年1月)の享徳の乱以後、原氏が進出した。
岩富城は、文明四年(1472年)に原景広が築城したと言われ、景広の子・胤行らが城主であった。この系統の原氏を「弥富原氏」と呼んでいる。
天正十八年(1590年)に原氏が千葉氏と共に滅びると、徳川家臣となった北条氏勝が鎌倉の玉縄城より移されて入城し、1万石に封ぜられた。
その後、慶長十九年(1614年)に養子の北条氏重が下野国富田城に転封されたため、廃城となった。