赤山陣屋 (あかやまじんや) (赤山城)
最寄地 埼玉県川口市赤山218 2015.12.23
赤山陣屋 (あかやまじんや) (赤山城)
最寄地 埼玉県川口市赤山218 2015.12.23
北西入口・案内図
西側空堀
南側空堀
城址碑・説明板
本丸跡
南東側空堀
赤山日枝神社
赤山陣屋 本丸跡(地図)
【遺構★★★★☆】
【案内・感想】 外環自動車道下を通る国道298号線「安行(西)」交差点より南に右折県道161号線を約360m行った押釦信号の右手に「赤山城跡」の石碑が建てられている[マップコード3 345 429*38](地図)。
そこを右折、1台分の細い道を西へ約100m行くと左手に見学者駐車場が用意されている[マップコード3 345 486*86]。
右手の山王公園横に山王社、高台に赤山日枝神社(表記番地)がある。
南側堀に沿って西に行くと、「赤山城址」の石碑、説明板2基が建てられている(地図)。
本丸は畑、空き地になり、周囲に空堀を巡らし、西堀の西に二の丸跡(地図)がある。北堀の北に外環自動車道が通り、その北に出丸跡があった。
北、西、南の空堀は復元され、転落防止の生垣が植えられている。要所要所に地図のある案内標識が建てられている。
【構造】 本丸(御屋形)二の丸部分だけで約11万㎡、周囲に広がる家臣持ち分の土地や菩提寺である源長寺、山王神社などの付帯施設を含めると77万㎡に及ぶ。
【歴史】 伊奈氏は徳川家康の関東入国と共に鴻巣・小室領1万石を賜り、熊蔵忠次以後、12代にわたって関東郡代職にあり、関八州の幕領を管轄し、貢税、水利、新田開発等にあたった。
元和四年(1618年)兄忠政の病死のあとを継いで関東郡代職に就いた、3代半十郎忠治の時に、赤山領として幕府から7千石を賜り、寛永六年(1629年)に小室(現北足立郡伊奈町)から赤山の地に陣屋を移した。
これが赤山城で、以来、十代忠尊が天明の大災害(1783~87年)の事後対策の過失により、関東郡代職を失脚、領地を没収される寛政四年(1792年)まで、163年間伊奈氏が居城した。現在は、東側の堀と土塁を残すのみである。