十三湊遺跡 (とさみなといせき) (安藤氏館) (国の史跡)
所在地 青森県五所川原市十三琴湖岳456 2015.7.5
十三湊遺跡 (とさみなといせき) (安藤氏館) (国の史跡)
所在地 青森県五所川原市十三琴湖岳456 2015.7.5
十三湊遺跡案内板
旧校舎
東側土塁
南側土塁・説明板
南側土塁上面
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 五所川原市十三琴湖岳の日本海と十三湖に挟まれた半島にある。
旧校舎に設置された「十三湊発掘調査室整理事務所」(表記番地)の西の道路横に「十三湊遺跡図」十三湊遺跡図が建てられている。
旧校庭の南に東西約100mにわたって土塁が残っている[マップコード517 099 298*72](地図)。遺跡図に安藤氏館推定地として、校舎を中心に約100m四方の方形である。
また南約300m道路東に中世町家跡がある(地図)。「十三湊遺跡」は平成十七年(2005年)7月14日、国の史跡に指定された。
【歴史】 鎌倉幕府第2代執権の北条義時によって、安藤(安東)氏は蝦夷沙汰代官(えぞさただいかん)に任命された。
安藤氏は蝦夷(えみし)出身の在地豪族で、前九年の役で戦った北方の勇者安倍貞任(さだとう)の末裔を名乗り、室町時代には「日之本将軍」の称号を与えられて、津軽海峡を挟んだ北方世界を支配した。
最盛期を迎えるのは、14世紀前半に起こった一族内部の跡目相続、蝦夷沙汰代官職を巡る争い「津軽の大乱」に勝利した安藤季久(すえひさ・宗季)が津軽西浜にある十三湊(とさみなと)に拠点を移してからと考えられている。