高田城 (たかだじょう)
最寄地 青森県青森市高田川瀬271 2015.7.5
高田城 (たかだじょう)
最寄地 青森県青森市高田川瀬271 2015.7.5
登城ルート
空堀・バス停
土橋・空堀
城趾碑・報徳碑
主郭跡
高田城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 県道44号線「高田字日野」交差点より南西に100m行くと高田日野バス停の左に空堀がある[マップコード99 371 179*38]。
その先に土橋があり、消えかかった高田城趾の木碑(横に碑文)が建てられている。
主郭には奥崎先生報徳碑が建てられ、一部畑たなり、住宅が建っている。空堀は良く残っている。
【歴史】 築城時期は不明である。戦国時代には三戸南部氏の家臣土岐則基の居城であった。則基は高田村、荒川村を領して、八百石で南部氏に仕え、津軽関門の守備を担っていた。
天正六年(1578年)大浦為信が浪岡城を攻略、則基と嫡男・則重が戦死した。
次男則忠・三男則吉は南部高信の次男政信の娘を奉じ、三戸に逃亡し、則忠は30石を賜った。それにより、廃城となったと思われる。
土岐氏は、慶長年間に政信の娘が、七戸城主七戸直時に嫁ぐと、付き人として、直時に仕えて、23石切米五駄を賜った。後に直時の命で「高田」に改姓すると、七戸城番頭筆頭四家の一つとして栄えた。