矢板城 (やいたじょう) (矢板館)
所在地 栃木県矢板市本町4-60 2015.1.17
矢板城 (やいたじょう) (矢板館)
所在地 栃木県矢板市本町4-60 2015.1.17
神明大権現
矢板城址碑
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 矢板小学校北東より北に約60m行った高台に「神明大権現社務所」(表記番地)があり、「矢板城址」の石碑が建てられている[マップコード121 186 530*60](地図)。
【歴史】 平安末期に源姓塩谷氏の重臣矢板重郎盛兼によって城は築かれ、その後、代々矢板氏の居館になったものと思われるが、その歴史は、ほとんど史料が無く定かではない。
塩谷氏の居城である川崎城の北の守りの支城として機能しており、平城ではあるが、やや高台に城が築かれていた矢板城の東側には「合戦場」という小字名が残っており、天正十年(1582年)六月十日に矢板城を中心に矢板村合戦と呼ばれる塩谷氏と那須氏の小競り合いが行われている。
矢板村一帯が、塩谷氏の支配から岡本氏の支配に変わった天正十八年(1590年)に廃城になったか、あるいは、その後も岡本氏の別邸として利用され、廃城は岡本氏が改易された正保元年(1644年)九月十九日のいずれかと考えられているが定かではない。