雲霧城 (うんむじょう) (保源城・金波館)
最寄地 福島県石川郡玉川村 大字川辺字舘64 2020.5.25
雲霧城 (うんむじょう) (保源城・金波館)
最寄地 福島県石川郡玉川村 大字川辺字舘64 2020.5.25
登城ルート
円通寺舘山霊苑
南の帯郭切岸・登り口
2段目の帯郭
主郭
主郭・灯籠(寛政七年)
倒壊寸前の神社
雲霧城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高15m】
【感想】 玉川村にある円通寺北西の標高315.5mの山頂に築かれている。
南の帯郭は畑などになって開けているが、2段目の帯郭と主郭は竹藪となり、移動もままならなかった。主郭東側に廃屋状態の倒壊しそうな神社や灯籠があり、北側に低い土塁が見られ、その先は崖となっている。
地理院地図には通路が描かれているが、密生した竹林に塞がれて行けなかった。
【案内】 「石川支援学校」東の円通寺(表記番地)に向かい、その手前を左に登った「円通寺館山霊苑」に駐車できる[マップコード61 110 094*86]。
南の帯郭の右隅付近からよじ登る(地図)。
南に2段の郭があり、最高所に細長い主郭がある。
【歴史】 石川有光は、永承六年(1051年)の「前九年の役」の際、源頼義・義家父子に従い、その軍功により陸奥国石川庄を賜り、康平六年(1063年)陸奥国石川庄に移り、三芦城と共に支城として雲霧城を築き、一族の川尻氏が城主となった。
応永十四年(1407年)川尻氏は小平城へと移り、替って三沢城より一族の板橋満好が城主となった。
天正二年(1574年)石川昭光は佐竹氏とともに、雲霧城北西で葦名・二階堂・白河結城・田村の連合軍と戦ったが敗れ、その後、雲霧城は放棄され廃城となった。