金山城 (かなやまじょう)
最寄地 千葉県鴨川市打墨2359 2012.8.28 2015.4.4
金山城 (かなやまじょう)
最寄地 千葉県鴨川市打墨2359 2012.8.28 2015.4.4
登城ルート
金山城跡碑
虎口
4郭
3郭
2郭
主郭・祠
金山城 1郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高90m】
【案内・感想】 県道24号線が鴨川有料道路になる交差点を東に金山ダム管理事務所(表記番地)に行く道路の最初のトンネル手前Y字路に「金山城跡」の低い石碑がある。
Y字路を左へ(右はトンネル)道なりに約900m行くと終点の城跡4郭(地図)に着く(細く悪路のため住宅地を過ぎた路肩に駐車[マップコード 309 519 761*8 ]、駐車スペースは少ない)。
金山ダム堰堤の北西方向に位置する。4郭は東西約120南北約90mの広さがあり、南にダム工事で拡幅されたと思われる虎口があり、北、東に土塁が残り、南側は山を削り残して土塁替わりにしている。
4郭全体に薮化しており、中央の幅5mほどが刈られており、北東の薮を分け入ると虎口がある。その下はダム湖になっている。
4郭の北西側から西に尾根を削り段々に3郭、2郭と並び最高所に1郭がある。比高約90mの1郭には祠が祀られている。残念ながら説明板、標識はない。
【歴史】 鎌倉時代に栄えたこの地の豪族・東條氏の居城である。
その後、里見初代義実に攻められて落城、里見方の城となったと云われ、里見氏の家臣正木氏が守った。
古文書では、天正九年(1581年)の里見氏の家督争いの際に起こった里見義頼に叛いた家臣正木憲時の乱に際して、義頼に攻め落とされたのが、金山城と位置づけされている。最期は太田康資とともに家臣に殺されたという。