長牛城 (なごしじょう) (長牛館・秋元館)
最寄地 秋田県鹿角市八幡平長牛50-1 2017.4.25
長牛城 (なごしじょう) (長牛館・秋元館)
最寄地 秋田県鹿角市八幡平長牛50-1 2017.4.25
登城ルート(緑線は車道)
長牛自治会館・城跡標柱
八幡館切岸
八幡館・八幡神社
主郭・大日神社
空堀
タタラ館入口
タタラ館
長牛城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高20m】
【感想】 主郭は大日神社が建ち規模は広く、北東に段郭がある。境目の城として激戦が行われた場所である。
【案内】 県道191号線より硯川を渡った長牛自治会館(表記番地)に「長牛城跡」の碑が建てられ、駐車場が利用できる[マップコード297 107 527*05] 。
自治会館の東に八幡館があり(地図)、屈曲した長さ80m幅30m程度の北端に八幡神社が建てられている。また硯川の東にタタラ館がある(地図)。
戻って自治会館より西に登ってゆくと、大日神社の建つ主郭がある。その南と東に名称は分からないが2つの郭があり、夫々空堀が巡らされている。
【歴史】 築城時期ははっきりしないが、長牛城は当初、鹿角四頭の内の一人、秋元氏の居城であった。
その後、一戸南部氏の一族一戸摂津守が入城し、以後一戸氏は長牛氏を名乗り、南部氏の安東氏に対する境目の抑えとなった。
永禄九年(1566年)、安東愛季の鹿角侵攻を受け、長牛館主の長牛友義は奮戦した。硯川は血で赤く染まったと言われる程の激戦の上、長牛館は攻め落とされ、南部領へ逃れた。
永禄十一年(1568年)、南部家臣とともに安東勢に反撃し、鹿角郡と長牛館を取り戻すことができた。友義は軍功により長牛城を賜った。