柿岡城 (かきおかじょう) (市の史跡)
所在地 茨城県石岡市柿岡2159‐2 2015.2.21
柿岡城 (かきおかじょう) (市の史跡)
所在地 茨城県石岡市柿岡2159‐2 2015.2.21
柿岡小学校
柿岡小学校にある城址碑・説明板
説明板
柿岡小学校
土塁
空堀
柿岡城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 市立柿岡小学校(表記番地)の敷地となっており、東側校門を登った所に「柿岡城址」の石碑、説明看板が建てられている。南西側「やさと中央保育所」との間に土塁があり、南に空堀がある。
昭和四十七年(1972年)4月19日、石岡市の史跡に指定された。
【歴史】 源頼朝が鎌倉幕府を開いた頃、常陸国守護職に補せられた八田知家が、その子小田時知(時家)をここに置いたと云われ、代々柿岡氏を名乗り、南3㎞にある片野城と共にこの地方を支配した。
戦国末期には、梶原美濃守政景の居城となったが、天正元年(1573年)小田天庵氏治が太田三楽父子に攻められて、敗退するや柿岡城には真壁房幹が入った。
文禄四年(1595年)の秋から長倉義興が居住し、六年後の慶長五年(1600年)に急死した。
その後国分盛重に代ったが、徳川時代になり、九州柳川立花氏の領地となり、稲葉正勝の支配を経て、徳川氏の直領となり、代官の支配となり明治維新まで続いた。『石岡市教育委員会説明板』より。