高坂館 (たかさかやかた) (高坂氏館)
所在地 埼玉県東松山市高坂834 2013.9.28 2020.7.2
高坂館 (たかさかやかた) (高坂氏館)
所在地 埼玉県東松山市高坂834 2013.9.28 2020.7.2
説明板
高済寺・土塁
空堀・土塁
高済寺・土塁・空堀
加賀爪累代之墓
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 高済寺(表記番地)の建つ一帯が館跡である。本堂の西に空堀、土塁が残る(地図)。
西側の土塁の前に城山稲荷神社の小社が建てられている。又土塁上に「加賀爪累代之墓」がある。
【歴史】 築城は14世紀南北朝の時代高坂刑部太輔である。高坂氏は応安元年(1368年)の武蔵平一揆の乱で河越氏とともに足利氏満に背き敗れ、高坂氏は遠方に領地替えになっている。
永禄五年(1562年)松山城の戦いで後北条4代氏政が陣を敷いた。
天正十八年(1590年)家康の関東入部に伴い、加賀爪政尚が3千石を与えられ居館とした。
1万3千石の大名となったが、天和元年(1681年)加賀爪4代直清は隣地境界争いで、領地没収となった。