山入城 (やまいりじょう) (国安城)(くにやすじょう)
最寄地 栃木県常陸太田市棚谷町1693 2016.3.5
山入城 (やまいりじょう) (国安城)(くにやすじょう)
最寄地 栃木県常陸太田市棚谷町1693 2016.3.5
登城ルート(緑線は車道)
駐車場・案内図
本城跡
堀切・土橋
腰郭・本郭虎口・説明板
本郭・櫓台
本郭東堀切
山入城 本郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 山田川右岸の標高185.3mの要害山頂上に腰郭を備えた詰城本郭があり、説明板が建てられている。
物見櫓台上に崩れた石祠が祀られ、櫓台の東側に深い堀切がよく残っている。
【案内】 県道29号線に入口看板が設けられている。約600m北に行った表記番地先に「山入城跡」道標がある。そこから九十九折れの舗装された車道が頂上下まで付いている[マップコード379 042 327*43]。駐車場が用意され、案内説明板が建てられ、駐車場の手前に本城跡がある。
道標に従い登ってゆくと、堀切、土橋がある。
昭和五十四年(1979年)10月1日、常陸太田市の史跡に指定された。
【歴史】 延元年間(1336~40年)西野民部太夫温通(はるみち)が初めて築いたと云われ、後に山入師義(佐竹貞義の七男)が修築して、居城したと伝えられている。
師義は、山谷に住んだということから、世人が山入と呼んだので、山入氏を名乗ったとも云われている。
山入氏は、山入城を拠点として佐竹氏に対抗した。応永二十三年(1416年)の「上杉禅秀の乱」の時も、山入城に拠った山入与義(ともよし:師義の二男)が佐竹氏の攻撃にあった。
そ して7年後、佐竹氏に攻略され、遂に応永二十五年(1418年)落城した。
しかし山入氏は文明十年(1478年)頃、再び勢力を挽回し、与義の孫山入義真(よしざね:久米城を占領した義知の弟)は、山入城で態勢を固めて佐竹氏に対抗した。
義真の子で山入義藤・氏義父子も本家の佐竹義舜(よしきよ)を攻め、太田城を奪ってここに住した。まもなく、義舜の反撃に遇い、氏義は捕えられた。『常陸太田市教育委員会説明板』より。