鍋倉城 (なべくらじょう) (横田城・遠野城)
所在地 岩手県遠野市東舘町3-6 2012.10.5
鍋倉城 (なべくらじょう) (横田城・遠野城)
所在地 岩手県遠野市東舘町3-6 2012.10.5
南部神社鳥居・城跡碑
三の丸跡
本丸跡
説明案内板
遠野市街
鍋倉城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高70m】
【案内・感想】 JR釜石線「遠野駅」より南へ約600m行った南部神社(表記番地)の南の標高343.5m比高約70m鍋倉山頂上に築かれている[マップコード373 843 893*07]。
北に本丸跡、南に二の丸跡(地図)があり、本丸の東に説明看板の立つ三の丸跡(一族の仲舘氏、福田氏の居館があった)がある。
鍋倉城は初め旧城と同じ横田城の名で呼ばれた。本丸から、北に遠野の町が望める。
【歴史】 天正年間(1573~92年)阿曽沼氏により築城され、それまでの居城・横田城より移った。
慶長五年(1600年)関ヶ原の戦いの時、城主は広長であったが、家康の上杉景勝攻めに出陣の留守中、家臣の謀反に遭い阿曽沼信康を頼り世田米城に逃亡した。翌年遠野奪還を試みるも失敗した。
阿曽沼氏の滅亡後、寛永四年(1627年)八戸根城から南部直義が入部し240年余にわたって遠野南部氏1万2千5百石の居城となった。
明治二年(1869年)廃城となった。現在、鍋倉公園となっている。