本荘城 (ほんじょうじょう)
最寄地 秋田県由利本荘市尾崎17 2016.9.6
本荘城 (ほんじょうじょう)
最寄地 秋田県由利本荘市尾崎17 2016.9.6
北側の堀
復元大手門・城跡碑
三の丸跡
二の丸跡
本丸の館
本丸・土塁
本荘城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 国道105号線より本荘市役所(表記番地)に向かう本荘公園東側に駐車場が用意されている[マップコード 231 771 667*03 ](地図)。
本荘公園として整備され、三の丸北側に水堀が残り、大手門が復元されている。三の丸に城主の居館があった。東側中段に二の丸があり、遊具が置かれ、展望台が建てられている。
上段の本丸は周囲に土塁がめぐり、櫓跡に四阿が建てられている。北側の虎口を登ると、本丸の館や修身館が建てられている。中央に本荘神社、南に招魂社が建てられている。西側に三日月堀が残る。
【歴史】 本荘城は慶長十五年(1610年)山形城主の最上義光(よしあき)の家臣、楯岡城主楯岡(本城)満茂により尾崎山に築かれた。
元和八年(1622年)最上氏が跡目相続にからむお家騒動で改易されると、本城満茂も居城を明け渡して本城を去った。
その後、本多正純が宇都宮15万石より5万5千石で移封されたが、翌々年、正純は久保田藩の佐竹氏預かりとなる。
常陸国府中城より、元和九年(1623年)六郷政乗が2万2千石で入封し、以後明治維新まで六郷氏11代の居城となった。
戊辰戦争では官軍側に属したため、奥羽越列藩同盟側に立った鶴岡藩勢の攻撃を受け、城主の六郷政鑑は城に火を掛け逃亡した。
明治二年(1869年)、版籍奉還に伴い廃城となった。