笠間城 (かさまじょう) (桂城)
所在地 茨城県笠間市笠間3613 2013.9.22 2021.8.19
笠間城 (かさまじょう) (桂城)
所在地 茨城県笠間市笠間3613 2013.9.22 2021.8.19
登城ルート(緑線は車道)
千人溜り跡・駐車場
大手門石垣
本丸・奥に八幡台櫓跡
八幡台櫓跡
本丸天守台間の堀切
天守台石垣
佐志能神社
移築八幡台櫓
笠間城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高140m】
【案内・感想】 笠間稲荷より東に600mほど行くと、「大石邸址」があり、その東より南に右折し登った「佐白山麓公園」駐車場の東に「笠間城主下屋敷跡」の広場、時ノ鐘がある(地図)。
その南東の登山口より登り林道に出る。林道を左に折れ、しばらく行くと、千人溜(矢場)に駐車場が用意されている[マップコード188 167 673*80](地図)。
西へ登ると、大手門跡付近に石垣石段が残る。本丸は公園となっており、南に一段高く八幡櫓跡がある。
南東に堀切があり、石段を登ると、石垣のある比高約140mの頂上天守曲輪に「佐志能神社」(表記番地)が建てられている。
2011年3月11日の東北大地震により天守台への石段、石垣は崩れている。
真浄寺(笠間市笠間323)には明治十三年に八幡台櫓が移築、保存されている。
【歴史】 下野川崎城主塩谷朝業の次男時朝は正福寺、徳蔵寺の僧兵を滅ぼし、承久元年(1219年)堅固な城を佐白山頂上に築いた。
時朝は笠間氏を名乗り、 以後18代にわたって笠間を治め、南北朝時代、5代笠間康朝の時には、南朝に属し、北朝の佐竹義春の攻撃を受けたが籠城戦の末撃退した。
天正十八年(1590年)豊臣秀吉の小田原征伐の際、18代笠間綱家が宗家の宇都宮氏に逆らい、後北条氏に与したため、同戦役ののち宇都宮氏により滅ぼされた。文禄元年(1592年)宇都宮氏の家臣玉生勝昌が入った。
慶長二年(1597年)宇都宮氏が改易され、翌、慶長三年(1598年)蒲生郷成が入城した。
慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いの後、慶長六年(1601年)松井松平康重が入った。
慶長十四年(1609年)松平康重は5万石に加増され丹波篠山藩(八上城)に転封された。その後、小笠原氏が入ったが改易され、戸田松平氏が入り、そして永井氏が入った。
その後外様大名の浅野氏が2代、井上氏が2代、本庄氏が2代、再び井上氏が2代入った後、延享四年(1747年)牧野貞通が入城、以降廃藩迄牧野氏8代が居城した。
明治四年(1871年)の廃藩置県で廃藩となり、明治六年(1873年)の廃城令により廃城処分とされ、建物は取り壊された。