鎌原城 (かんばらじょう)
最寄地 群馬県吾妻郡嬬恋村鎌原494 2015.9.20 2017.3.10
鎌原城 (かんばらじょう)
最寄地 群馬県吾妻郡嬬恋村鎌原494 2015.9.20 2017.3.10
登城ルート(緑線は車道)
三の丸
三の丸追手口碑
鎌原氏歴代菩提
二の丸堀切・二の丸跡
二の丸(左)・二の丸堀切
本丸・看板と説明板
笹曲輪・テレビ塔
鎌原城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★☆】
【感想】 吾妻川右岸の台地に築かれた崖端城である。2015年に訪れた時は樹木が伸び、草が生い茂っていたが、最近樹木が伐り払われ、標識も要所に建てられて分かりやすくなっている。
二の丸堀切は箱型で深く、よく残っている。
【案内】 鬼押有料道路(270+370円)の料金所を出て北に行った妻恋郷土資料館(表記番地)の西に、「鎌原城址」の標識がある(群馬県長野原町方面からゆくと料金所を通らず無料で行ける)。西に約600mゆくと、案内標識がある(地図)。
大きく右折、北に未舗装の細い道を約1kmゆくと、「三の丸追手口」の石碑(地図)が建てられ、その先に駐車スペースがある[マップコード341 080 265*12]。三の丸は広く畑となっている。石碑の右に鎌原氏歴代菩提がある。
堀切の先に二の丸があり、鉄塔の先に本丸があり、本丸碑、説明板が建てられている。 北に行くと笹曲輪があり、NHKのテレビ放送塔が建てられその先は断崖となっている。
昭和四十八年(1973年)12月18日妻恋村の史跡に指定された。
【歴史】 鎌原氏は滋野源氏、海野氏の一族で下屋氏の末裔にあたり戦国時代より三原荘を支配する豪族で、応永四年(1397年)の築城と伝えられている。
戦国時代には甲斐武田信玄の武将となり、江戸時代には沼田城真田氏の家老を務めた。慶長二十年(1615年)六月発布の徳川幕府の一国一城令で廃城となった。
天和元年(1681年)沼田藩改易により幕府が治めるようになってからは、大笹の関守となり廃関まで8代187年間、関番を務めた。