車城 (くるまじょう) (群馬城・牛淵城・臼庭城)
所在地 茨城県北茨城市華川町車 2015.2.28
車城 (くるまじょう) (群馬城・牛淵城・臼庭城)
所在地 茨城県北茨城市華川町車 2015.2.28
登城ルート
登り口
二、三ノ郭空堀
堀切・井戸跡・二ノ郭(右)
本郭堀切
本郭・八幡神社
説明案内板
臼場城の八幡神社
車城 本郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高40m】
【案内・感想】 県道10号線との「下相田」交差点より県道69号線を約300m南東にいった交差点を北に川を渡って約500m行くと、「車城跡」の標識がある。
そこを東に約200m行き、根古屋川の橋を渡ったスペースに駐車し、北約60mに「車城跡」の標識のある登り口がある[マップコード100 822 415*37](地図)。
北東に約140m行き右に登ると、二の郭と三の郭の間に空堀があり(地図)、高台となっている三の郭(草木多い)がある。その東の低地に四の郭、五の郭がある。
戻って、約140m行くと八幡神社鳥居があり、登ると堀切・井戸跡があり、井戸跡の東が細長い二の郭であり、堀切を西に登ると虎口を経て、本郭がある。
東西約60m南北約40mの本郭には、八幡神社が建てられ、「八幡神社再建之碑」の石碑がある。横に「車城跡」の説明板が建てられている。本郭の北は崖となり堀切がある。
住民の話によれば、南東の臼場八幡神社(北茨城市華川町臼場241)は「臼場城」で(地図)、南の中妻八幡神社(北茨城市華川町中妻300)背後の山も城跡で、共に車城の出城跡と云う。
【歴史】 江戸時代の『新編常陸国誌』によると、群馬城または牛淵城、臼庭城とも称され、鎌倉時代末の嘉元年中(1303~6年)に臼庭加賀守が居城し、室町時代の天授年中(1375~81年)に砥上氏が三代に亘って居城した。
文明十七年(1485年)7月に岩城常隆の攻撃を受けて落城し、城主は討死した。その後岩城氏の一族が居城、後佐竹氏の支配するところとなり、佐竹氏の秋田移封により廃城となった。『北茨城市教育委員会説明板』より。