淵野辺館 (ふちのべやかた)
最寄地 神奈川県相模原市中央区淵野辺本町3‐26‐8 2014.4.30
淵野辺館 (ふちのべやかた)
最寄地 神奈川県相模原市中央区淵野辺本町3‐26‐8 2014.4.30
淵辺氏居館跡碑
第二導水隧道接合井
【遺構★☆☆☆☆】
【案内・感想】 南北朝時代に淵野辺村の地頭だった淵辺義博の館跡である。川崎市上下水道局の地下施設(第二導水隧道接合井)のフェンスの東とアパートの間に、「淵辺伊賀守義博居館跡之碑」の石碑と由来石碑が建てられ、祠が祀られている[マップコード2 544 278*10](地図)。すぐ南に東京電力の送電鉄塔が建っている。
【歴史】 淵辺義博は足利尊氏の弟・足利直義配下の武将であった。
建武二年(1335年)に北条時行を擁立した信濃の諏訪頼重による中先代の乱が起こると、戦況が悪いと見た足利直義は、義博に後醍醐天皇の皇子・護良(もりなが)親王を殺害するよう命じた。
同年七月二十三日、義博は護良親王を殺害し、その首を藪のなかに捨てたと太平記には書かれている。
その後義博は直義に従って駿河国手越河原で北条氏と戦うが、そこで戦死した。
一方、護良親王暗殺については、義博が親王を匿ったために生存していたという伝承もあり、鎌倉から奥州石巻港に落ち延びたとか、 洞穴の中にかくまって奥州に落ち延びさせたと色々ある。
また義博には境川にいた大蛇を退治して村の人々を救ったという伝説も残っており龍像寺(東淵野辺3丁目25−1)には今も蛇の体の一部と、退治した時の鏃(やじり)が残っているという。