上三川城 (かみのかわじょう)
最寄地 栃木県河内郡上三川町上三川5079 2014.4.11
上三川城 (かみのかわじょう)
最寄地 栃木県河内郡上三川町上三川5079 2014.4.11
内堀
本丸南入口
本丸跡
西側模擬門
井戸
善応寺の横田家累代の墓
長泉寺の今泉家累代の墓
上三川城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★☆】
【案内・感想】 県道35号線「しらさぎ一丁目」交差点より南に約380m行った交差点を東に約220m行くと、「上三川城址公園」駐車場が用意されている [マップコード39 035 757*13](地図) 。
公園の南側に石碑、橋を渡り石垣虎口を過ぎると高さ3mほどの土塁で囲まれた本丸跡で、芝生の広場となり土塁には桜が一周植えられている。「銀明水」という井戸が残る。
本丸の外周には内堀が残っており、復元された門が東西二ヶ所にある。現在は本丸を残すのみであるが、東西四、五百m、南北千mの範囲に、土手を巡らせた曲輪がいくつも並んだ堅固な構えを見せていた。本丸の堀には上三川城落城にまつわる「片目のドジョウ」伝説がある。
本丸の北の善応寺(上三川町上三川5099−1)に城主・横田家の墓がある。
また長泉寺(上三川町しらさぎ1丁目51−7)に今泉家(8代城主横田元朝以後)の墓がある。
【歴史】 建長元年(1249年)宇都宮氏の一族である横田越中守頼業(よりなり)が築いた。
以後横田氏代々の居城となったが、康暦二年(1380年)、主家宇都宮氏と小山氏が合戦した裳原(茂原)の激戦で、7代師綱(もろつな)と長男綱業(つななり)が重傷を負ったため、今泉郷に住んでいた綱業の弟元朝が上三川城主を継ぎ、今泉を姓とした。
慶長二年(1597年)14代高光は、宇都宮国綱の世継ぎ問題で対立した芳賀高武に攻められて落城、自刃した。