伏馬田城 (ふすまだじょう) (尾崎城)
最寄地 神奈川県相模原市緑区牧野12665 2022.8.6
伏馬田城 (ふすまだじょう) (尾崎城)
最寄地 神奈川県相模原市緑区牧野12665 2022.8.6
登城ルート(緑線は車道)
城跡道標・階段
100m手前の急斜面
城趾標柱
主郭
北郭・主郭切岸
北郭切岸・浅い堀切
伏馬田城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高160m】
【感想】 道志川左岸の標高536mの城山に築かれ、甲斐との国境に近く道志川に沿った往来を監視する役目を担っていたと思われる。
主郭の西と北に緩斜面の郭があり、北側に浅い堀切が残っている。主郭には咢堂桜と呼ばれる樹齢40年位の桜が数本見られる。
【案内】 国道413号線より「バカンス村入口」の看板のある交差点を右折、道志川を渡って西へ集落の道を約2km行くと登り口となっている階段下に着く[マップコード251 484 586*86](地図)。登り口に道標が、道路向かいに説明板が建てられ、その先の広くなったところに路駐できる。
階段を登って左に尾根の山道を登り、比高60mほど登ると、緩やかな尾根に着く(地図)。
はっきりしない尾根道を登ると急斜面下に着き、倒れたネットからやや右斜めにジグザグに登って右側のネットの所から左に登ってゆくと再び左側のネットに出、その先に主郭切岸が見えてくる。
主郭は径20mほどの円形で「榛名山大権現」他4基の石塔が祀られ、「伏馬田城趾」の標柱、咢堂桜の説明板が建てられている。北側にやや傾斜した郭があり、その北に浅い堀切が見られる。
後日、グーグルマップで調べたところ西側にも登り口があり[マップコード251 513 085*14] (地図)、こちらが緩やかで遊歩道も整備されているようだ。
【歴史】 後北条氏の家臣団「津久井衆」の一人である日連村の尾崎掃部助が城主といわれる。ゆえに尾崎城とも呼ばれる。
『妙法寺記』には、天文五年(1536年)大月の小山田氏の武将・小林刑部左ヱ門が秋山口から侵入、『アオネノカラヲチラシ足弱百人ばかり御取候』とある。伏馬田城のあった青根の足弱(女子供)を拉致したというものだ。
尾崎掃部助の子孫は又野村に移り住み名主となり、更に江戸時代末期には尾崎彦四郎が断金隊に加わり三重県に移った。その後県知事となった彦四郎の子が「憲政の神」といわれた尾崎行雄(咢堂)であった。
明治四十五年東京市長であった尾崎行雄は、日米友好の証として荒川堤の桜3千本を米国に贈り、ワシントンのポトマック公園に植樹された。
昭和五十六年足立区では3千本の里帰りを実現させ、そのうち32本が津久井町に贈られ、城跡に2種類の咢堂桜が植樹された。