龍ヶ谷城 (りゅうがやじょう)
最寄地 茨城県常陸大宮市山方4238 2019.6.12
龍ヶ谷城 (りゅうがやじょう)
最寄地 茨城県常陸大宮市山方4238 2019.6.12
登城ルート(緑線は車道)
この付近から登る
途中にあった沢の排水路コンクリート
南側の2郭(奥が主郭)
西側の横堀
主郭・土塁
主郭北側の空堀(クランク部)
北西端の堀切
龍ヶ谷城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高60m】
【感想】 枇杷川とその支流の合流点に突き出た標高約109mの丘陵先端部に築かれている。
南側の2郭は傾斜しており、東側に一段下がった桝形状の地形がみられる。
北側の主郭を囲むように横堀がある。藪化した主郭の北側に深さ3m程の横矢の掛かるクランクした空堀があり、見どころの一つとなっている。
その北は細い尾根状の郭が続き藪化した北西に堀切が見られる。
【案内】 表記番地の横、防火水槽との間から林道が始まる[マップコード379 122 151*60](地図)。
南へ下り、約300m先を北西に大きく曲がってゆくと、枇杷川の支流の橋に出る。そこまでは、ナビに表示されないが、舗装路である。心配の向きは橋の先の右側が広く駐車できる。
そこから先は芝生の生えた道で、雨が降った後は多少ぬかるむが、枇杷川に沿った道を進むと三叉路となり、そこでUターンできる。
三叉路を右に50m程行くと、沢の音が聞こえ、広くなっている所から登る(地図)。夏場は藪化しているが、排水路コンクリートのある沢の右側の茂みを直登すると、目印の欅付近に着く(かなり急斜面)。
【歴史】 関東管領上杉氏の一族・山方能登守盛利は、応永年間(1394~1428年)山方城を築いた。その後、支城として龍ヶ谷城を築いたと思われる。
文明年間(1469~87年)に山方城を佐竹氏の一族、佐竹(東家)政義に山方城を明渡し、龍ヶ谷城に移ったという。