成田氏館 (なりたしやかた)
所在地 埼玉県熊谷市上之544 2015.2.4
成田氏館 (なりたしやかた)
所在地 埼玉県熊谷市上之544 2015.2.4
標柱・石碑
成田氏の墓七基
説明板
【遺構★☆☆☆☆】
【案内・感想】 国道17号線「上之」5叉路交差点より一方通行の細い道を南へ約200m行くと道路西(右手)に柵で囲まれ「成田氏舘阯」の石碑が建てられている(地図)。柵前に説明文のある木碑がある。建設会社事務所、牛舎や民家が建ち、畑となり遺構はない。
昭和三十七年(1962年)11月3日熊谷市の史跡に指定された。「龍淵寺」(熊谷市上之336)に成田氏の墓(宝篋印塔・五輪塔・板碑、七基)がある。
【歴史】 藤原鎌足の末裔で、藤原忠基(初代)が武蔵守となり初めて武士として騎西郡に荘園を開拓したのが始まりである。
その後宗忠・家忠と続き、四代藤原宗道の子・五代助高(資隆)が天喜元年(1053年)に、成田の地に館を構え、成田氏を名乗った。
その後成田氏は「関東八家」と称されるまでに、勢力を拡大し、十五代成田親泰(成田顕泰の子)が忍城主となるまでの4百余年、この地に住み続けた。