浅水城 (あさみずじょう)
最寄地 青森県三戸郡五戸町浅水浅水68 2014.8.13
浅水城 (あさみずじょう)
最寄地 青森県三戸郡五戸町浅水浅水68 2014.8.13
八幡宮鳥居
八幡宮・曲輪
展望台・説明案内板
サイレン塔
空堀
浅水城跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 県道233号線の八幡宮入口[マップコード412 801 676*78](地図)より北に参道を道なりに300mほど登ると、八幡宮の建っている曲輪に着く。
南に展望台や説明案内板があり、展望台から浅水の町並が望める。サイレン塔があり、西側の神社裏に空堀が残っている。
【歴史】 戦国時代の永正年間に、三戸南部氏22代政康の三男長義が築城した。長義の官名は「遠江守」で五戸と浅水を知行し、禄高は3千石であった。
浅水氏と名乗ったが、三戸城の南側に屋敷があったため、南殿(南氏)と称された。長義は寶福寺を開基し位牌や墓があり五輪塔の石碑がある。
永禄年間(1558~70年)の南部一族内訌のさい、信直派に属し反晴政派となったため、南部晴政の攻撃を受けた。
また、天正十九年(1591年)九戸政実の乱において、櫛引城主櫛引氏の攻撃を受けたが、これを撃退し、敗走する櫛引氏を深追いし、南氏は法師岡館付近で壊滅、討死した。
南部27代利直の四男利康は浅水城主南氏5代を継いだが、寛永八年(1631年)24歳の若さで死去、廃城となった。南部利直は利康の死を悼んで三光寺(南部町小向正寿寺60)に霊屋を建立した。国の重要文化財となっている。