高見城 (たかみじょう) (四ッ山城・四津山城)
所在地 埼玉県比企郡小川町高見1125 2013.11.18 2020.6.30
高見城 (たかみじょう) (四ッ山城・四津山城)
所在地 埼玉県比企郡小川町高見1125 2013.11.18 2020.6.30
登城ルート(緑線は車道)
本郭・四津山神社
本郭二の郭間の堀切
二の郭跡・土塁
堀切・三の郭の前段
三の郭
三の郭西の堀切
【感想】 小川町大字高見の標高200mの四ッ山に築かれており、南東から北西に伸びる尾根上に3つの郭とそれぞれを隔てる堀切から構成されている。
特に土橋付の堀切が3条ともよく残っており、二の郭は堀切で2つに分割されている。
神社の建つ本郭からは、市野川一帯の眺望が素晴らしい。
【案内】 県道184号線「能増」交差点より北約550mに行ったT字路に「四ッ山城跡」の案内標識が建てられている(地図)。T字路を右折して西に約1㎞行くと、四津山神社(表記番地)の参道下に着き、駐車スペースがある[マップコード422 002 376*57]。
四津山神社の建っている所が本郭で、北東と南東に犬走りで結ばれた腰郭を備えている。堀切の北に土塁の残る二の郭があり、堀切で隔てて、最高所に三の郭がある。三の郭は自然地形の山頂と南側に削平した平坦地があり、土塁が見られる。北西側に堀切が残っている。
【歴史】 築城時期は不明だが、『青木家家譜』に、治承四年(1180年)青山城主・青山氏久の配下の石井九郎右衛門政綱が居住したとある(『小川町史』)。
戦国時代に入ると、増田四郎重富がここに居住した『新編武蔵風土記稿』。その後、山内上杉氏方の属城・鉢形城の支城となっていたとみられる。
増田重富は享徳の乱(1454~83年)で足利成氏に従い戦果を挙げた。長享二年(1488年)の扇谷上杉氏と山内上杉氏が戦った高見ヶ原合戦(第一次)で、扇谷上杉氏を支援する足利成氏に従い戦ったが、山内上杉方に高見城は包囲され、重富は自害し落城した。
また明応三年(1494年)の第二次高見ヶ原合戦でも、この城は使用されたとみられる。