岡部屋敷 (おかべやしき)
最寄地 埼玉県飯能市坂石町分256 2015.8.10 2017.10.4
岡部屋敷 (おかべやしき)
最寄地 埼玉県飯能市坂石町分256 2015.8.10 2017.10.4
登城ルート
坂石小学校跡地(中屋敷)
登り口
屋敷跡・祠
屋敷跡
竪堀(東)
竪堀(西)
岡部屋敷跡(地図)
【遺構★★☆☆☆ 比高60m】
【感想】 高麗川右岸の標高354の龍崖山より北側に伸びる尾根先端にある。
東西約40m南北約60mの広い屋敷跡に祠が祀られている。北側は篠竹が生えている、
龍崖山城を含め、遺構もほどほどあり、登り口などに標識等が欲しい所だ。
【案内】 国道299号線旧道より吾野宿へ入り、吾野郵便局の手前約40mより南に曲ると白髭神社があり、数台駐車できる[マップコード91 252 719*33]。
西武秩父線トンネルを潜り登ると、「中屋敷」跡といわれる旧坂石小学校跡地の広い台地に出、長屋住宅(表記番地)が5棟建っており、東側にプレハブ建物が建っている。
その左奥(地図)より杉林に入り、10m程登ると、細い道が反時計回りに比高60mの屋敷跡主郭に続いている。
南東側の自然石に祠が祀られている。その南山側の東と西に竪堀があり、龍崖山城への登り口がある。
【歴史】 岡部屋敷は、武蔵七党(横山党、猪俣党、野与党、村山党、西党、児玉党、丹党)のひとつ、猪俣氏に端を発する岡部氏の居館跡と云われている。
岡部氏は、猪俣忠兼の子忠綱が武蔵国岡部(現深谷市岡部町)に住し、岡部六大夫と称したのが始まりとされる。
その孫六弥田忠澄は吾野に住し、一ノ谷合戦や奥州征伐に従軍して戦功を立て、建久八年(1197年)病没した。
至徳年間(1384~87年)頃に、六弥田の孫・岡部新左衛門が吾野に居住したと云われ、秩父御嶽神社を再建したという。