蒼海城 (おうみじょう)
所在地 群馬県前橋市元総社町1-31-45 2015.1.14 2017.1.20 1.30
蒼海城 (おうみじょう)
所在地 群馬県前橋市元総社町1-31-45 2015.1.14 2017.1.20 1.30
総社神社にある蒼海城跡地図
総社神社
御霊神社
本丸南西側より
堀跡・南西側台地
蒼海城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 「総社神社」(表記番地)の境内に大きな「蒼海城跡地図」の看板が建てられている[マップコード20 784 057*18] 。
「総社神社」の北西約400m、「御霊神社」に「御霊神社と長尾氏由緒」の看板が建てられている。東に宮鍋神社がある。
南東50m付近が本丸となっている。東側に道路が敷設中であり、本丸跡といわれる所は重機の入った形跡があり工事と関連があるのだろうか? 西側に庚申などの石碑群が仮置きされていた。
【歴史】 建武四年(1337年)長尾左衛門尉景忠は上野守護代となり、越後守護代も兼務した。その後、弟景恒が越後守護代となり越後長尾氏の祖となった。
景忠の長子清景は白井城主となり、4男忠房は父景忠と共に国府を城郭化し蒼海城と称した。その後総社長尾氏が9代210余年続いた。
文明十七年(1485年)上野国守護代で蒼海城主・長尾忠房の嫡子長尾憲景が石倉城を築城した。
永禄九年(1566年)頃武田氏に攻められ、落城した。
徳川家康が関東に入部すると、文禄元年(1592年)諏訪頼忠が武蔵国奈良梨から蒼海城に移ったが、慶長六年信濃国高島へ移封となった。その後、秋元長朝が1万石の所領をもって、蒼海城に入った。総社に築城を開始し慶長十二年(1607年)完成し、総社城へ移った為廃城となった。