根城 (ねじょう) (国の史跡・日本100名城5)
所在地 青森県八戸市根城大字東溝35‐1 2013.11.6
根城 (ねじょう) (国の史跡・日本100名城5)
所在地 青森県八戸市根城大字東溝35‐1 2013.11.6
東門
空堀
木橋・本丸東門・堀
常御殿跡・御主殿
井戸・小屋
根城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★★】
【案内・感想】 国道104号線の北、「八戸博物館」(表記番地)の敷地に「南部師行公」の騎馬銅像が建てられている[マップコード84 026 545*30]。
復元東門より入ると、東善寺のある郭があり、西に手入れが行き届いた中館跡が公園となっている。空堀、土塁がある。紅葉も美しい。本丸との堀に木橋が復元されている。
木橋を通り、有料(一般250円、高大学生150円、小中学生50円)となっている本丸跡には井戸があり、主殿、板蔵、鍛冶工房、納屋、馬屋、本丸東門、本丸西門など復元され、常御殿、奥御殿が平面復元されている。
昭和十六年(1941年)12月13日、国の史跡に指定された。
【歴史】 1333年(元弘三年、正慶二年)南朝の武将北畠顕家は陸奥国司として下向、南部師行は国司代として随行した。建武元年(1334年)南部師行は根城を築いた。
南部師行は延元三年(1338年)北畠顕家と共に和泉国石津川(堺市西区浜寺石津町)で討死した。師行の死後、弟の政長が跡を継いだ。南朝方が次第に劣勢となると、南部氏の勢力も次第に弱体化していった。
明徳四年(1393年)南部氏8代・八戸政光は本領の甲斐(山梨県南部町)より根城に本拠地を移した。
天正十八年(1590年)宗家の三戸城主・南部信直は秀吉方につき南部七郡を安堵された。この際根城八戸氏も宗家に組み込まれた。
宗家の南部利直は盛岡城を築き南部藩を開き、同時に八戸も盛岡藩領とした。
寛永四年(1627年)八戸氏22代・直義は盛岡南部利直の命により遠野城に移封となり、根城は廃城となった。