船岡城 (ふなおかじょう) (柴田城・芝田城・船岡要害・四保館) (日本さくら名所100選)
所在地 宮城県柴田郡柴田町船岡館山95−1 2013.8.12 2017.4.22
船岡城 (ふなおかじょう) (柴田城・芝田城・船岡要害・四保館) (日本さくら名所100選)
所在地 宮城県柴田郡柴田町船岡館山95−1 2013.8.12 2017.4.22
三の丸跡・船岡城址公園
三の丸の城中井戸
二の丸跡・絹引の井戸
柴田外記 (左)・原田甲斐の供養塔
本丸西側花壇
本丸跡・平和観音像
船岡城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高80m】
【感想】 春には城下を流れる白石川堤防沿いの桜並木(一目千本桜)と船岡城址公園の桜が一体となって美しい桜の景観を見せる。当日は桜まつりの期間中であった。
前回来たときはスロープカーが運行してなかったので、徒歩で登ったが、今回は人出も多く、運行していた。頂上からは白石川の千本桜が見える。
【案内】 東北本線「船岡駅」南の県道50号線を西に500mほど行った交差点を左折し、南に300m行き右折して登った所に「柴田町観光物産交流館」(表記番地)大駐車場がある[マップコード156 496 255*08]。
一段下がった「船岡城址公園」の門がある所が三の丸跡であり「樅ノ木は残った」の看板がある。井戸が残っている。
二の丸に原田甲斐宗輔・柴田外記朝意供養塔があり、絹引の井戸がある。階段状の郭で建物も階段式であった。
登り詰めるとかなり広い比高約90m頂上の本丸跡がある。西は花壇になり、東側には高さ20m位の真っ白な平和観音像(1975年建造)が東を向き立っている。
【歴史】 正治二年(1200年)頃、芝田次郎が源頼家に命を受けた宮城四郎によって亡ぼされたことが『吾妻鏡』に記されており、芝田次郎が居城していた。
十六世紀初頭、伊達氏の家臣で柴田家の祖・四保但馬定朝の居城とし、2代宗義の時、四保氏から柴田氏に改姓した。
文禄二年(1593年)柴田氏は桑折西山城へ移封となり、屋代景頼が城主となった。
元和元年(1615年)原田宗資が居城した。江戸時代中期に要害になった(伊達21要害の一つ)。
寛文十一年(1671年)三月、原田宗輔が寛文事件(伊達騒動)で斬死し、原田氏は断絶した。
天和元年(1681年)柴田宗意が幕府より五千石を拝領し米谷城より入城し、元禄七年(1694年)三の丸に居館を築造し、以後代々新発田氏が居住し、明治維新を迎えた。