助川城 (すけがわじょう) (助川海防城)
最寄地 茨城県日立市助川町5丁目12−1 2016.2.21
助川城 (すけがわじょう) (助川海防城)
最寄地 茨城県日立市助川町5丁目12−1 2016.2.21
助川公園入口
段郭
本丸石垣
城跡碑・説明案内板
本丸館跡
遠見番所跡
助川城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 国道6号線「日立二高前」交差点より西に行った、市立「しいのき学園」(表記番地)の先に、助川城跡公園となっている[マップコード100 002 489*56] 。駐車スペースは無く、徒歩で登る必要がある。
本丸は3段の段郭を備え、石垣の前に説明板が建てられ、最上段に「本丸館跡」の碑が建てられている。東に太平洋が一望できる。
一段下がった段郭の東端に「遠見番所跡」、「大手門礎石」がある(地図)。
公園入口より右の高台(地図)に、「助川海防城跡」、「養正館跡」の碑が建てられている。養正館は山野辺義観が天保八年(1837年)に建てた家臣の子弟教育施設である。
【歴史】 水戸藩9代藩主・徳川斉昭は、天下に率先して海防の重要性を強調し、天保七年(1836年)家老山野辺義観を海防総司に任命し、太平洋を一望におさめる助川(介川)村の高台に城郭を築いて1万石を与えて居住させ、異国船の監視に当らせた。
完成まで5年の歳月を要し、総面積は68万㎡で、助川小学校の校門付近にあった館入口から三の丸(一部は助川小学校)、二の丸(一部は太陽の家)、一段高い本丸には、見張り櫓もあった。
海防城は元治元年(1864年)九月、水戸藩の内乱の時に焼失し、当時の遺構としては本丸表門の礎石の一部と、二の丸に在った鳩石だけとなった。『日立市教育委員会説明板』より。